スタジオセピアの歴史
- 悪夢の美大浪人時代
- 高校卒業して第一志望の美大受験は画力と学力の両面で無理でした。敗戦処理のごとく美術予備校で毎日5時間の絵の練習、デッサンなどの基礎をこなして夜はコンビニで学校までの交通費稼ぎのコンビニでのアルバイト。そんな生活をしていた時期に逃げ道にしていたのが音楽の作曲でした。当時はテレホーダイでネットできる時代で23時が待ち遠しく、MIDI(DTMによる作曲の成果)をホームページで発表したりするのはささやかな楽しみでした。
さすがに美大は壁が厚すぎてゲーム専門学校などにも行きましたが「ゲームクリエイターになりたい」という志はとても厳しく、自分でゲームを作って発表する日々。そんなときに知り合いから「あなたのゲーム売れると思うよ」と言われて同人の存在を初めて知りました。
- サークル立上げ初期
- 「Revenge~歪んだ復讐~」を処女作として次々と熱意のままに新作を発売しつづけてきました。多くの人にお買い上げいただきとっても嬉しかったです。同人のなんと居心地のいいことか。Nscripterを用いてゲームらしい作品が作れるようになったというありがたい状況も相まって熱意のままに作品に取り組みました。
- ボイスがついた2005年代
- 「汚辱 ~放課後の凌辱鬼~」でついに初めての声優の起用により音声つき作品が発売できるようになりました。これ以降は声優さんを起用し凌辱シーンを熱演してもらっております。
- 2007年から吉里吉里での開発開始
- 「輪姦学校 ~散らされた純潔~」からは吉里吉里での開発を開始しました。これにより右クリックメニューなどのインターフェイスもかなり自由に弄れるようになりゲームのふるまいも変えられるようになりました。
- 2009年までに放送大学卒業。就職活動はほぼ無理ゲーだった
- 「レイプ合宿 ~引き裂かれたレオタード~(2009年版)」は就職活動のために引退を決意して切り込んだ作品でした。しかし、30手前の新卒(しかも放送大学は採用面接官にとっては完全に色物扱い)で正社員の枠を狙ってゲーム会社はもちろんWEBデザイン系やプログラマーなど。10万円ぐらいは就活で使いましたがなしのつぶて。イヤな営業もエントリーシート出したけれど詐欺系の会社しか内定はもらえず……同人専業でやっていくことに。
- 2010年代に革命的な大ヒット「魔王降臨シリーズ」と10周年
- 「魔王降臨 ~女勇者処女凌辱~」の売り上げと支持は大変大きなものでした。10周年ということですぐに続編の「魔王降臨2 ~慟哭の女勇者処女蹂躙~」も発売しました。経費より稼げたので気づいたこととして税金・年金で年収の半額ほどとられるので生活苦になり青色申告に切り替えたのもこの時期です。
- 2016年~2019年までのニート時代
- 「ドラゴンズドグマオンライン(DDON)」に出会ってしまいオンラインRPGで人との交流が楽しすぎてクランマスターまでしてキャラも2人育てて最前線に送り出すハマりかたをしました。やらかしです。ネトゲは待機時間が長いのでお絵描きのトレーニングもしていてペイントソフトもフォトショップからクリップスタジオにソフトも変更。画力は上がりました。
- 初のリメイク作品の発表~寝取られゲー~RPG~といろいろ挑戦中
- 「レイプ合宿R ~引き裂かれたレオタード~」で画力の向上を武器にしたリメイクをはじめとして「僕の妻が寝取られました/俺が寝取りました ~罠に堕ちた処女人妻~」や「ノエルの復讐」など今までに作らなかったジャンルにいろいろ挑戦しました。
- 大型商業案件でサウンドエンジニアの道にも船出~初の漫画発売
- 縁があり大きな商業案件をいただいてサウンドエンジニアとしても2024年は活躍しております。信頼して育ててもらっている実感にただ感謝しております。ただ案件では待機時間も多く、暇なときは漫画をコツコツと描いていました。その成果が「愛娘散る」の発売や、別ブランドで発売予定の「ねとられ上手の高木さん」で発揮されています。画力の向上などと合わせてプロの音響の技術も身に着けて新作に生かしたいと考えています。
羽賀さんの歴史。深いようで浅いし、浅いようで広いんだよ。
良くも悪くも……いろんな経験してるからそれをゲームに生かしたいよね!?